今日は平福で公民館記念行事がありました。
津山市の平福で佐良山公民館建て替えの行事で
ウクレレでお世話になっている方々の演奏がありましたので
行ってきました。
綺麗なホールに大正琴、詩吟、ピアノ、エレクトーン
演奏、ウクレレなど多種なグループで音楽の盛んな
地域だなと思いました。
津山市の平福で佐良山公民館建て替えの行事で
ウクレレでお世話になっている方々の演奏がありましたので
行ってきました。
綺麗なホールに大正琴、詩吟、ピアノ、エレクトーン
演奏、ウクレレなど多種なグループで音楽の盛んな
地域だなと思いました。
動物愛護は人間主体の考え方で動物が野良で彷徨って
かわいそうとか発想が人間の気持ちからだと思います。
動物福祉とは動物主体にみて生きる環境のQOLなどを
問うていると思います。
そのなかに5つの自由の原則があります。
動物福祉 5つの自由
1. 飢えと渇きからの自由:
適切な栄養と新鮮な水を十分に与え、飢えや渇きから守る。
2. 不快からの自由:
快適な環境(温度、湿度、清潔さなど)を提供し、不快な状態から守る。
3. 痛み、負傷、病気からの自由:
怪我や病気から守り、適切な獣医医療を提供する。
4. 本来の行動がとれる自由:
個々の動物の種や生態に合わせた自然な行動ができる環境を作る。
5. 恐怖や抑圧からの自由:
精神的な苦痛やストレスを与える恐怖や抑圧から守る
以上5つの原則ですが、気になるのが4,5の項目です。
果たして人間の愛護の観点からみた保護を動物が本当に
望んでいるのか?
家に閉じ込めてそれが本来の生態に合わせた自然な行動なのか?
抑圧されてストレスが溜まっていないか?
家の保護している猫の行動をみて深く思います。
ここで少し観点は違いますが頭に浮かんだのが
人間のエゴを詠った
高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」です。
中学校の国語の時間に触れました。
引用
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何が面白おもしろくて駝鳥を飼かうのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股また過ぎるぢじゃないか。
くびがあんまり長過ぎるぢじゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢじゃないか。
腹がへるから堅パンも喰ふくうだらろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢじゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢじゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへえてゐるぢじゃないか。
あの小さな素朴そぼくな頭が無辺大の夢で逆さかまいてゐるぢじゃないか。
これはもう駝鳥ぢじゃないぢじゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
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当時はこの詩を読んで動物園に来る幸せな家族が楽しく駝鳥を
檻越しに見るようなイメージを浮かべ、人間のエゴに腹立たしさを感じました。
「駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢじゃないか。」
今の家の保護猫はまさにこの詩であると思います。
網戸を破り逃げないようにラティスフェンスでガードしていますが
頭を突っ込み外の気配を伺い
毎日かじり穴を広げいつか外を駆け回ることを夢見ている
ようにしかみえません。
保護しても野良で厳しい中、子供を連れて生きてきたおかあさん猫です。
野生が消えてなくなるとは思えないのです。
厳しい自然で生き抜く事を選ぶのは野生の本能で自由です。
交通事故で亡くなる事は人間の交通インフラのまた別の問題で
自由を否定して保護というのが本当に動物を幸せにして
いるのか疑問です。
どうあるのが正しいのかわかりません。
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